尾瀬〜平ヶ岳〜大水上山〜本谷山〜十字峡

会山行ku-ninn28
【日時】2007年5月3-5日(連休)
【メンバー】2人(十字峡に迎え=1人)
【天候】晴れ
【山域】奥利根山塊
【地形図】至仏山・尾瀬ヶ原・平ヶ岳・兎岳
【時間記録】
<5/3>晴れ→雷雨 鳩待峠10:53−山ノ鼻11:43〜11:52−尾根取付(1510m付近)13:07〜13:20−主稜線(1800m)14:11〜14:20−ススヶ峰13:54−小休止15:09〜15:14−テン場(1780m付近)15:57

<5/4>晴れ テン場6:25−白沢山7:07−小休止7:28〜7:35−平ヶ岳8:18〜8:45−剱ガ倉山9:57−小休止10:20〜10:36−滝が倉山11:01−小休止(1740mピーク)11:28〜11:42−にせ藤原山12:42〜13:00−藤原山14:01〜14:11−小休止(1610mピーク)14:45〜14:57−大水上山16:20
<5/5>晴れ テン場6:30−丹後山7:06〜7:12−小休止8:03〜8:12−越後沢山9:05〜9:16−本谷山10:00〜10:14−中尾ツルネ分岐10:37−1670m付近11:11〜11:27−中尾ツルネ12:06〜13:25−三十倉14:14−雨量計14:26〜14:35−登山口15:43−丹後山登山口16:16−十字峡17:00


 5月連休の奥利根源流の分水嶺歩き…今年は4連休になることでもあり、思い切って尾瀬から丹後山を歩くことにした。まずは車を中途に置き、そこから公共交通機関を使って尾瀬に入る。下山を新潟側にすると融通が利きやすいのではと、入山は尾瀬にする…というのは口実で、地図で見る丹後山の登りがあまりに辛そうだったから、だった。

 最初に立てた尾瀬までの計画は綿密だった。新潟発3時45分で六日町の知り合いの家に車を置かせてもらい、タクシーで石打駅まで行き6時過ぎの電車に乗る。そうすると沼田発7時30分過ぎの戸倉行きバスに乗れ、鳩待峠に10時頃には着けるのだ。我ながらグッドプランであった。

 連休中は晴れのうれしい予報。初日、いろいろなアクシデントがあり予定の1時間遅れで鳩待峠を出発。今年は小雪だったが、春の低温で雪消えが遅くなっているようで、鳩待峠からのルートは数年前よりも雪が残っているみたいだ。山ノ鼻付近は人が大勢おりテント村もできているが、猫又川沿いに奥に行くのは私たちだけ、トレースも数少ない。

 フタマタ沢の右岸の尾根から取り付く。もしかして沢が出ていたら?…は杞憂に終り、無事に尾根に取り付くことがでる。ススケ峰と日崎山の鞍部で主稜線に出て、広い尾根を北に向かって行く。平ケ岳は行く手に白くそびえ立っており、振り向くと、至仏山がこれでもか!くらいにそそり立っていた。

主稜線を歩いているうちに雲行きが怪しくなり、風も強く冷たくなってくる。今日中に行けるところまで進みたいと気は焦るが、時間も遅くガスが沸き始めたところ、大白沢山と白沢山の鞍部の針葉樹林帯でテントを張ることにする。テントを張っているうちに霙が降り始め、テントに入った頃には雷もなる荒天となった。

翌日は快晴。雪はもう緩み始めていたので、アイゼンもなく登り始める。平ケ岳は大きく、途中で小休止をはさみ、やっと登頂できる。遮るものが何もない360度の展望が得られる山頂は、ただただ広かった。数年前に来たときはガスで何も見えなかったが、今回は違った。のんびりとしたいような、たたずんでいたいような山頂なのだが、寒くてすぐに歩き出す。

<大白沢山への稜線・奥は燧ケ岳と景鶴山>



<平ケ岳山頂>

剱ガ倉山へのナイフリッジは雪が腐っていたので、なんなく通過。剱ガ倉山からの下りの急斜面も同じだった。標高を下げるにつれ、尾根も細くなっていき、滝が倉山への下り辺りからヤブが出始める。針葉樹のゴミっぽいヤブだ。このヤブがにせ藤原山まで続く。喉がいがらっぽくなるが、飲み水が限られているのでガブガブ飲めないのがストレスを倍増させている。すれ違うパーティーにも何組か会う。自分が来たルートを振り返れば、剱ガ倉山の奥に平ケ岳がとてつもなく大きくそびえ立っている。この滝が倉山、にせ藤原山なんてヤブ深い、奥深い×二乗の山。マイナー名山に推薦したい山々である

国境稜線の山々、奥利根の源流の核心部の尾根を巡りながら歩いている。昨年歩いた巻機山や小沢岳〜下津川山がグルリと回ったすぐそこに見える。大河の水のすべてがここから染み出ているのだ。今日頑張れば、明日もしかしたら下津川山まで繋げ、昨年下ったネコブ山ルート下山もできるのでは…なんて、頭の中は欲でいっぱいだった。

にせ藤原山からは尾根が広くなったせいかヤブも落ち着き、雪の上を歩けるようになった。この下りからブナの林に変わっていく。ここまでは平ケ岳に代表されるようなツガなどの針葉樹の林が続いていたのだが、急に植生が変わりブナ林になる。なんでなんだろう???。



<滝が倉山〜にせ藤原山間のヤブ尾根>

<藤原山からの下りと大水上山に続く尾根>

藤原山から緩やかなブナの雪斜面を下り、登り返したピークで小休止。最後の水を分け合って?!飲む。テントなのだから、ここで幕営したって良いものなのだが、なぜか心は大水上山を今日の最終地点に決めていた。大水上山まで行けば、翌日の行動半径が広がる、その思いだけだった。

1610mピークから200m強の登りで、ゆっくりペースでも1時間で大水上山に着くと踏んでいた。ところが、最後は足が上がらず、喉も渇き、疲れもピークに達し、もっとも辛い登りとなった。急なガレ場を行き雪斜面を登り切ると、なんとか縦走路に着いた。

テントを張りながら、冷やしたビールを飲み切ってしまう。この時のビールのおいしかったこと!!。

この日は携帯メールがつながったので、無事に縦走路に抜けた旨、明日の行動予定などのメールを仲間に送る。1日に10時間の行動時間は私にとって限界に近いのかもしれない。疲れ切った一日であった。

 翌日も晴れ。中ノ岳が輝いて、より大きく見える。計画は丹後山から下るのだが、やはり、下津川山からネコブ山〜桑ノ木山を経て、十字峡に下りることにする。丹後山の小屋は四半世紀ぶりだ。その時の小屋が現在の小屋かどうかもわからない。中に入ってみるときれいに整頓されていた。

 越後沢山から本谷山はほぼ雪の上を歩けた。だが、疲れもたまっているせいか足が重い。越後沢山の山頂は細く雪尻が張り出していて通り過ぎるような感じだが、本谷山の山頂は良かった。山頂だけポコッと地が出ており、展望はもちろん360度。自分たちが歩いてきた昨日の尾根がすべて見渡せられる。ここで昼寝でもしながらゆっくりと過ごせたら…その誘惑を振り切って歩き始める。

 本谷山から中尾ツルネまでの稜線は夏道が付いており、ありがたさが倍増したが、そこからはまた細い尾根でヤブこぎとなる。下津川山への登りの最低鞍部前で休む。そこから見た下津川山は果てしなく大きく見えた。ここからまだ下り、下津川山まで300mの登りとなるのだが、ヤブと雪がミックスされた急な登りのようだ。今の自分たちでは下津川山まで2時間半はみなくてはならず、そこからネコブ山には2時間、十字峡まではさらに3時間はかかるだろう。今日中には絶対に下れない。それよりもあの下津川山の登りを見上げただけで気持ちが後ずさりしてしまい、縦走したいという欲、それはまったく無くなっていた。



<下津川山・この登りを前に引き返した>

協議をするまでもなかった、あの登りより中尾ツルネの分岐までの登りのほうが耐えられるだろう、と、回れ右をして本谷山方面に登り返すことにする。決めたら最後、もう振り向きたくないと、下りと同じような時間で登り返した。

 中尾ツルネの夏道で大休止をする。ここを下るのだったら本谷山の山頂でゆっくりとしたかった…などと悔やんだが仕方がない。水を作り、ラーメンを食べる。ここでもビールを冷やし飲む。う、うまい!ここも携帯が通じるので今日のコース変更などのメールを送ったりする。携帯は便利だ。下津川山〜ネコブ山間は昨年より雪がしっかりと付いているようだ。白く輝いている。下津川山方面から歩いてくるパーティーを見る。今日は丹後山の小屋泊りなのだろうか。

 中尾ツルネはすっきりとした良い尾根だった。それほど急峻でもない。雪はブナ林にはびっしりと付いているが尾根道には何も残っていない。三十倉の下の雨量計のあるピークで休む。越後沢山も本谷山も遠くに高く見える。ネコブ山も見る方向で三角錐の雄々しい形だ。下のほうはブナの新緑が萌え、花々が咲き競っていた。イワウチワ、イワナシ、特にタムシバの白い花が最高にきれいだった。私はというと、プラ靴の下りで足が麻痺したようになってしまい、紐を緩めたりして、ゆっくりと下る。

林道に出、新緑の中いままで以上にゆっくりと歩く。デブリは2、3箇所でなんなく通過できる。昨年、十字峡から見た林道は雪に埋め尽くされていて、通過には雪の斜面を横切っていくように見えた。昨年が異常だったのだろうか。

 十字峡の緑地帯でテントを張る。あり合わせのもので夕食を…と思った時に、聞き覚えのある声がした。会の仲間が来てくれたのだ。中尾ツルネの下り口で携帯で行動報告をした仲間が来てくれた。それも、冷たいビールと豪華な食材、美味しい手料理を持って。涙が浮かんでしまうほどうれしかった。ありがたかった。飢えている私たちの飲みっぷり、食べっぷりは凄まじかったに違いない。

 最終日は雨模様の天気。歩かなければならなかった道のりは車で通過。改めて感謝である。今春の縦走も天気に恵まれて予定以上の行動ができた。雪も今冬は小雪だったのに春の低温で、麓は雪が無く、縦走路はまったりとした雪の上を歩けた。条件の良い山行だったに違いない。それも最後は仲間の支援付きであった。仲間に助けられながらも、ほんの少しずつ自分なりに足跡の残る山登りをしていきたい。それにしても疲れた山行だったなあ。



<雨量計のあるピーク・越後沢山と本谷山が大きく見える>