親不知・子不知

個人山行 sue

日時】201179(土)

【メンバー】Y

【天候】晴れ

【山域】 北アルプス?

【地形図】 糸魚川、親不知

【実録時間】青海川河口06:00 08:20 風波 9:40  市振11:30


  「こんなものは山行記録として認めない!!」と、ご立腹の方もおられると思いますが、北アルプスの末端の走破記録としてお許しください。かのW.ウェストンも「日本アルプスの根が見たい」といって、この地を訪れています。

 

一般に、親不知・子不知といわれるところは、青海から市振りまでの区間で約15kmあります。このほぼ中間地点に親不知駅や親不知I.Cのある歌集落と外波集落があり、ほかに人の住んでいるところはありません。この15kmの間は北アルプスの山並みが急崖となって直接日本海に落ち込んでいるところで、平地は全くといっていいほどありません。そして、この急崖と海との接点にできた狭い砂浜は、古来多くの人々が往来した北陸道でもあります。

今回は、この北アルプスと日本海の接点を忠実にたどってみようという試みです。

 

 

朝6時、国道8号線から青海川の河口に降り立つと、すでに数人の釣人が来ていた。市振方面に向かってすぐに海岸はコンクリートの波消ブロック(テトラポット)と護岸に覆い尽くされ、それが勝山まで続く。勝山では、短い距離ではあるが、岩壁が直接海に沈んでいて、膝まで水に浸かって進む。勝山では国道から海に降りる道があり釣人が来ているが、その先は人影を見なくなる。8号線の子不知海上橋の下を通りなおも波消ブロックの浜辺を行くと、波打ち際で何やらあさっている人がいる。聞けば「石拾い(ヒスイ)」だと言う。

 

《国道8 子不知海上橋》    《ブロックが埋めつくす海岸 左上は国道》

 

さらに行くと前半の難所「駒返し」となる。前方に北陸自動車道の海上ルートを見ながら波が打ちつけるコンクリート護岸の下を時おり腰まで海に浸かりながら進む。

芭蕉や加賀の殿様や上杉の軍団が渡渉しながら旅をしたわけではない。近年、海岸の浸食が進んでいるのだ。

浸食が進んでいるとは聞いていたが予想以上だ。歌集落の目前でとうとう背の立たないところが出てきてしまった。泳げば簡単に突破できるが、せいぜい膝下くらいの渡渉と思って来ていたので、荷物の防水対策を何もしていない。カメラや携帯を海水に浸すわけにはいかないので泳ぐことはできない。コンクリート護岸の上に這い上がろうにも上まで手が届かない。護岸をよじ登るための足がかりに使えそうな流木を探していると、さっきの「石拾い」が護岸の上を歩いてくる。上に登れるところがないか聞くと、あっさり「ない」という。なんか冷たいなと思っていると、上からロープを下ろしてくれた。礼を言い、市振まで行くのだと言うと、即座に「無理だ」といわれた。この先の「天険」はもっと厳しいらしい。20年くらい前までは行けたこともあったが、今は無理だという。

《正面の突堤からロープを下ろしてもらう》

 

無理といわれてそのまま帰る気はないが、荷物の防水対策をしなければならない。護岸の上を歩いていくとすぐに歌についた。鉄道と国道と高速道路が狭いところに集中している。

《右北陸自動車道、左国道8号、さらに左隅にJR北陸線》

 

道の駅ピアパークを過ぎると、親不知漁港がある。港の漁師の爺さんにわけを話し、発泡スチロールのトロ箱がほしいというと、どこからか水抜き穴のない箱を探してきてくれた(港ではもっぱら箱の底に穴のあるものを使うようだ)。爺さんに礼を言い、この箱は絶対に海に捨てていかないと約束し、トロ箱を小脇に抱え意気揚々と先を目指す。発泡スチロールの箱に荷物を入れ、水面に浮かべて行けば、どんなところでも泳いで突破できる。

 この先でトンネルとなる頭上の高速道路と別れ消波ブロックの海岸を進むと、前方に黒々とした「天険」の絶壁が見えてきた。古来旅人を苦しめてきた「天下の険」だ。本日の最難関が近い。

《天険、上は旧国道を利用した遊歩道》

 

 進むにつれ、消波ブロックは姿を消し、岸壁の下を腰まで浸かって前進すると、風波川の河口に着く。川から運ばれてきた石で小さな浜辺ができている。砂浜ではなく、漬物石のような石浜だ。この先小さな岸壁の下を回りこむとまた漬物石の浜となる。ここには国道から降りてくる遊歩道があるが、この道は栂海新道の終点からさらに海まで出る道である。

 この先からが天険である。いきなり胸までの水深、そしてすぐに背が立たなくなる。完全に泳ぎの世界で、発泡スチロールのトロ箱が大活躍する。波はなく泳ぎにはまったく問題ないが、海上穏やかとはいえ、岸近くの海中には大きな岩がゴロゴロしていて海水が渦巻いており、荷が流されないよう、水をかぶらぬよう慎重に進む。思いきって岸から離れ、沖に出たほうが泳ぎやすい。天険の岩壁が終わる「浄土(難所が終わり極楽のようだという意)」までの約600mは、途中小さな浜や岩の上で2−3回休んだだけで、ほとんどトロ箱につかまって泳ぎ続けた。この間には、旅人が安全を祈った「波除観音」、大波から避難した「大穴」「小穴」、一気に駆け抜けた「長走り」など旅の苦難を示す名所がいくつもあるのだが、確かめる余裕はなかった。

《泳ぐしかない・・・》

 

 この先は、再び消波ブロックと漬物石の浜がずっと続く。もう泳ぐところはないのだが、今度は頭上から太陽がカンカンと照りつけ暑い(梅雨明けの日だった)。市振までが非常に長く感じられた。

 市振集落の入り口に「海道の松」があり、説明版には「ここが親不知の終点」と書いてあった。市振に着いたら海で泳ごうと荷物の下に水泳パンツを忍ばせておいたのだが、泳ぎたいという気持ちはなかった。

《「海道の松」親不知の終点》

 

 

 北アルプスの末端は、予想していたことではありますが、天険の岩壁以外はほとんどがコンクリートで覆われていました。そして、岩壁の下の狭い砂浜を通路としていた旧北陸道もほとんどが消滅していました。

 

 帰路、いい年して随分バカなことをしてきたと自責の念にとらわれましたが、考えてみると、親不知・子不知の完全踏破ができるのも、波のない夏の日に限られることであります。考えようによっては、貴重な体験をした・・ということにしておきましょう。